病的依存は「寂しさの痛み」の病
今回のお話は,昨年受講した,肥前精神医療センターで行われたアルコール・薬物依存の研修会講演(*1)を受けて.
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ある少年院の男の子の話.
中学校の時に薬物乱用防止の話があった.警察の人が来ていて,「人間やめますか?覚醒剤やめますか?」という話をしていた.実はそのとき,自分(少年)の父親が,覚醒剤取締法で捕まって,刑務所に収監中であった.「あ,俺の親父,人間じゃないんだ」,「人間じゃない人と血がつながっている自分も多分人間じゃない.じゃあ,人間じゃないらしく生きるか」と思い,自暴自棄になり,わざと自分から悪いグループに入っていき,薬を望んで使ったという.そういう人たちは,表層段階の少数かもしれないが,でも確実にいるんだということを忘れずに予防教育をしなければならない.「ダメ。ゼッタイ」ではダメ.
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先日,田代まさしさんの会見記事がBLOGOSに上がっていました.(*2)
「自分の回復のためにも,苦しんでいる仲間たちの手助けをしたい」
”ケース・バイ・ケースで人によって違うと思うんですけど,最終的には接触した人に対して「僕は大丈夫です」って言える自分がいれば良いんですけど,その物を見ちゃったりすると,すごくやりたい気持ちが出てきて.わかりやすくいうと,梅干し食べたことがある人が,梅干しを見たら唾が出ちゃうのと同じ感覚で,見せられちゃうとまた脳が動いてスイッチが入ってしまって.1回だけなら良いかもしれない,って考えてしまうのが怖さなんです. ”
昨年の研修会でも,田代さんがお越しになられていて,少しお話を聞きました.一般的に,「梅干し」のような例は知られていて,ペットボトルの水を見ても,これで溶いていたからスイッチが入るし,給料をもらったときにも,まとまったお金が手に入った時に売人に相談していたから,スイッチが入るそうです.トイレの便座に座ったときも,トイレで打っていた経験から,スイッチが入るそうです.
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また,BLOGOSの記事の中ではこのような指摘もされています.
”犯罪だから当然解雇されてあたりまえですけど,しかし雇用者側もこの人たちをちゃんと治療して治す,回復させるという仕組みをなぜつくらないのか.そういう再犯のメカニズムが日本の社会に固定しちゃっているからなかなか変わっていかない.”
研修会の国立精神・神経医療研究センター(*3)の松本先生の講演の中では,
”アメリカの国民が一回でも違法薬物を使う率は48%,日本は多い研究でも2%.日本は未然予防に成功している国である.逆にいうと,薬物を使ってうっかりマイノリティになってしまうと再チャレンジできない国でもある.薬物の害のせいではなくて,社会の偏見のせいかもしれない.
予防に成功する一方で,地域にダルクを作ろうとすると,地域住民の反対を作ってしまう.予防に力を入れる結果,薬にはまった人が社会復帰しようとすると,逆に足を引っ張る状況になってしまっている.”
ともおっしゃっています.
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個々人としての価値観は色々あると思いますが,医療者という立場では,援助者が物質乱用・依存といった事態を,「患者が自分で引き起こしたもの」と決めつけるのではなく,「まちがった方法であったかもしれないが,問題(生きづらさ)を解決するための試みであった(自己治療仮説)」と捉える方が良いように私は思っています.
”実は,依存症患者の多くは,何らかの困難な問題や苦痛と闘うなかで,飲酒量が増えていき,あるいは,仕事や家族,恋人,友人を顧みない薬物乱用へと沈溺していきます.依存症患者は無意識のうちに,自分たちの抱える困難や苦痛を一時的に緩和する役立つ物質を選択し,過酷な「いまこの瞬間」を生き延びてきたのでしょう.結果,確かに罹患こそしましたが,おかげで「死なずにすんだ」と考えることもできる.逆にいえば,幸運にも一時的な断酒や断薬に成功しても,困難や苦痛が依然として存在しているのであれば,その状態を継続することはむずかしくなります.” (*4)
”自己治療仮説は,依存症という,一見漠然としながらも破壊的な性質を持つ障害を,よりよく理解し,治療する上で,希望の持てる理論である.同時に,そこには患者に対するやさしさもある.患者の生活から単にアルコールや薬物といった『モノ』を除去し,管理することだけが依存症治療ではない.依存症治療とは,痛みを抱えた一人の人間の支援,すなわち『ヒト』の支援でなくてはならない”(*4)
自己治療仮説については,この動画がわかりやすいです.(*5)
https://youtu.be/ao8L-0nSYzg
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”病的依存は,「寂しさの痛み」の病”/”居場所のない人には居場所を 休息のない人には休息を 知識のない人には知識を 仲間のいない人には仲間を” (*6)
”違法薬物を使えば逮捕される.つまり薬物依存は犯罪なのだが,同時に病気であるということも忘れてはいけない.病気だから,いくら刑罰を与えても治らない.家族の愛でもどうしようもない.意志の力では,なかなかやめられない…”(*7)
”もしも「本人の更生のためには刑務所に行くことがいいから通報する」という信念をおもちの先生には,一言お伝えしたいと思います.覚せい剤依存者が最も覚せい剤を再使用しやすいのは,刑務所出所直後です.海外の薬物自己犯罪者の再犯研究でも,「再犯防止には刑罰よりも地域での治療のほうが有効」というエビデンスが確立されています.したがって,先生の信念は単なる妄想です.”(*8)
”家族にかかわることもまた重要なアディクション支援の1つです.最も重要な支援かもしれません.なぜなら,アルコールや薬物の問題であれ,ギャンブルの問題であれ,アディクションは,「本人が困るよりも先に周囲が困る病気」だからです.”(*8)
”依存症は,現代社会における最大の公衆衛生的,ならびに精神保健的問題である.なにしろ,依存症はそれに苛まれる人をそれこそ骨の髄までしゃぶりつくし,その人が行く先々で出会う人たちを次々に巻き込みながら広がっていくのだから.”(*4)
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予防のその先,地域でどう依存症患者を再発を防ぎ,本人とその家族を支えていくかも,地域のプライマリ・ケア医を含む医療の課題だと思っています.
*1: http://www.hizen-hosp.jp/modules/alcohol1/index.php?prev=1
*2: http://blogos.com/article/108149/
*3: http://www.ncnp.go.jp/hospital/guide_s_outpatient/detail10.html
*4: http://www.amazon.co.jp/dp/4791108434
*5: https://youtu.be/ao8L-0nSYzg
*6: http://www.yakkaren.com/forum/15.forum/15.forumannai.html
*7: http://www.amazon.co.jp/dp/457530185X
*8: http://www.amazon.co.jp/dp/4525202912
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